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歴史

米原市を通る中山道で旅人の目印となっていた「柏原一里塚跡(復元)」

米原市の柏原はかつて中山道の柏原宿として栄えた宿場町でした。柏原宿の西側には何か小高い土盛りがあります。これは柏原一里塚といって江戸時代に中山道を通る旅人の目印として役割を果たしていたものです。

残念ながら柏原一里塚は復元されたもので、現存していません。

一里塚とは

一里塚とは街道に一里(約3.9km)ごとに土盛りをして目印としたものです。一里ごとにあるので、旅人が今までどのくらい歩いたか、籠や馬の乗り賃の目安(今でいうタクシー代)として活用されていたものです。

慶長9年(1604年)、徳川家康の命により息子の徳川秀忠が全国の街道に一里塚の築造に着手した事が始まりです。東海道、中山道、北陸道から築造が始まり、10年ほどで工事が完了しました。

一里塚は街道を挟んで両側に築造されました。しかし、現在では取り壊され跡地になっていたり、石碑が建てられていたり現存するものは少なくなっています。現存していても片方のみの場合もあり、両方が揃って現存している一里塚は国の史跡になっている所もあります。(東京都志村一里塚など)

柏原の一里塚

中山道の柏原宿には江戸より数えて115番目の一里塚がありました。しかし本物の一里塚は開発により取り壊され現存しません。現在の一里塚は復元されたものです。

一里塚の大きさは直径9メートルの半球状で、頂上には榎の木が植えられています。全体で見ても榎が7割以上を占めるそうです。一里塚に木が植えられた理由は風雨による崩壊を防ぐためでした。

柏原宿にも街道を挟んで対となる一里塚がありましたが、本物の一里塚があった場所は今では川の底であり、復元された一里塚も元あった場所に復元されたわけではありません。

史跡情報

柏原一里塚跡
住所:滋賀県米原市柏原

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