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歴史

功名が辻にも登場した法秀院の史跡「山内一豊公母の墓」

戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した戦国武将、山内一豊の母「法秀院」のお墓が滋賀県米原市宇賀野地区にあります。法秀院と聞くと寺社の名前かと思うかもしれませんが、違うのです。

山内一豊公母の墓へのアクセス

山内一豊公母の墓は JR 坂田駅の北東にあり徒歩で10分程度かかります。

国道8号線からなら箕浦交差点を西へ行き、飯交差点を直進。線路をまたぐ陸橋を越えてすぐの交差点を右折します。

集落へと続く小路へ右折してしばらく進むと山内一豊公母の墓に到着します。

米原市宇賀野との関係

法秀院は戦国時代の武将であった山内盛豊の妻でした。盛豊は現在の愛知県西部(尾張)を治めていた岩倉織田氏に仕え、岩倉城の重臣でした。しかし織田信長により攻撃され岩倉城は落城し、盛豊はその場で戦死もしくは自害したと伝えられています。

当主を失った妻(法秀院)と息子の一豊をはじめとする子息は岩倉城を脱出し逃亡、信長の詮索を避けながら現在の米原市宇賀野にある長野家に身を寄せました。

法秀院は夫の盛豊が戦死した後、法秀尼と称し出家しましたが、やはり女性である為か歴史的資料が少なく実名は明らかになっていません。

その後息子の一豊は豊臣秀吉に仕え、豊臣家の小大名として活躍。1585年には長浜城主に栄達しました。法秀院のもとへ迎えが来ましたが、これを拒否。長年恩義を受けた宇賀野の地を去れず、1586年に亡くなりました。

1997年、法秀院の人徳を偲び地域の人々や山内家当主のお力添えのもとお墓が改修され、現在の立派な墳墓が完成しました。

史跡情報

山内一豊公母法秀院の墓
住所:滋賀県米原市宇賀野
拝観料:なし

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