米原市の旧山東町と長浜市の境目にもなっている横山には、室町時代末期に横山城という山城がありました。北近江の守護大名である京極氏が築城したと考えられ、その後浅井長政が改修し、織田信長との戦いの拠点にもなった城です。1570年の姉川の戦いで浅井軍を破った織田信長は横山城に侵攻しこれを陥落させ、木下秀吉(後の豊臣秀吉)に守らせていたと知られています。
浅井氏が滅亡後、豊臣秀吉は長浜城を築城し横山城は廃城となったと考えられています。現在は城の形はなく城跡となっており、横山城跡までハイキングコースがあります。
横山城跡ハイキングコースへのアクセス
横山城跡ハイキングコースは米原市側から登る方法と、長浜市側から登る方法があります。ここでは米原市側から登ります。米原市側からは豊臣秀吉と石田三成の出会いの寺と知られる観音寺からハイキングコースがスタートします。
国道365号線からなら野一色東交差点を南西に行き、市場交差点を右折します。長浜市へ抜けるトンネルの手前のY字路を右折すると観音寺が見えてきます。
駐車場について
観音寺の駐車場に停められます。
横山城跡ハイキングコースを登る
横山城跡ハイキングコースを登るには、駐車場から参道を登り観音寺本堂へ向かいます。
本堂の手前に公衆トイレがあります。山の中には当然トイレはありません。
本堂に付いたら右側へ向かいます。
すると石段が続いており、横山城跡ハイキングコースのスタート地点です。ここから約30分のコースです。
人が一人通れるくらいの道幅はあります。獣道をかき分けるような悪路ではありません。
なだらかな山道が続きます。
朽ちてはいますが、木の階段が整備されていた事がわかります。
横山城跡ハイキングコースには道中たくさんのお地蔵様が祀られています。全部で33体あり、これには驚かれるかもしれません。西国三十三番観音と呼ばれ、昭和初期に昭道和尚が横山城跡の整備に力を入れ城跡までの道に33体の観音様を祀られたそうです。
何か建物が見えてきました。
横山城跡の鐘楼堂
見えていた建物は鐘楼堂です。この鐘楼は昭和初期に昭道和尚が過去の歴史を偲んで寄進されたもので、昭和12年に地域住民により城跡まで鐘楼を運んだと伝わっています。
戦争に入るとお寺の鐘楼は国家により強制的に供出され、様々な武器兵器に使われましたが、歴史ある古い観音寺の鐘楼は供出を免れました。同様に横山城跡の鐘楼も、昭道和尚の請願「戦没した武士の霊と、他国との戦争で戦士した軍人の霊を、誰もが鐘をついて冥福を祈り追弔するための鐘楼」という主張により供出を免れ現在まで残っています。
この鐘楼堂は昭和末期に地域住民により改修されましたが、再び倒壊の危険性が出てきた為に平成26年に再び改修されました。
ここの鐘は姉川の戦い以降に戦没した武士や、他国との戦争で戦士した軍人の冥福を祈り、今でも誰でもつける鐘楼です。ただしいくつかルールがあります。
鐘楼堂のルール
- 早鐘つきは絶対にしないこと(1回目の音が鳴り止んでから2回目をつく)
- 鐘楼堂への落書き厳禁
平和への願いを込めて鳴らしましょう。
ここから横山城跡まで歩いて5分程度で、そこからの眺めは最高です。過去の城主であった浅井氏や京極氏も同じ風景を見ていたのだろうかと感慨にふける想いでした。