米原市の旧米原町エリアの琵琶湖側、現在の入江という地域にはかつて入江内湖という湖がありました。今はありませんが広さは300haもあり、東京ディズニーランドの6倍もの広さです。北は現在の米原中学校、南は彦根市北部の矢倉川まで及びました。明治時代や昭和初期は船を使って入江内湖を往来していたといいます。
その入江内湖は昭和19年に食糧増産の為、国営事業として入江内湖の干拓事業が始まりました。
入江内湖の干拓事業の歴史や、入江内湖から見つかった出土品や遺物を展示、保管し、琵琶湖干拓の歴史を紹介するために設立されたのが琵琶湖干拓資料館です。平日のみですが入場無料で入れます。現米原市の歴史の一部が垣間見れる資料館です。
目次
入江内湖干拓事業について
300haにも及ぶ入江内湖の干拓事業は、明治6年にも土を盛って干拓する計画が始まりでしたが実現はされませんでした。2回目の昭和19年に食糧増産の為、国営事業として干拓事業が始まりましたが、土は盛らず水を抜き取る方法で行われました。元々水深は深いものではなく、湖底もほぼ平らでしたので水田にするには適した環境でした。
着工から5年、昭和24年にのべ100万人もの人の力により干拓の大事業は完成しました。
水を抜き取っているので、現在の入江の地域も琵琶湖の水位より低地です。なので現在でも雨が降れば水が貯まるので、排水水門と排水ポンプで水の組み上げが行われています。
入江内湖遺跡から見つかった出土品
入江内湖の干拓事業が進んでいくにつれて、多くの歴史的出土品が見つかりました。入江内湖全体が縄文時代から平安時代にかけての遺跡である事がわかったのです。土器や農具、骨製の釣り針、魚網、全国でも最古級の舟、縄文時代に使われていたとみられる丸木舟も出土しています。
更に入江内湖南部の磯山城遺跡(現在の磯崎神社周辺)では、全国的にも他に例がない屈葬された縄文人の人骨が発見されました。実は磯山城遺跡は滋賀県を代表する縄文遺跡なのです。現在の米原市は縄文時代からとても豊かな自然に恵まれ、ベースキャンプ的な遺跡だったと考えられます。しかし、ここに定住していた事を物語る証拠となる遺物は発見されませんでした。磯山城遺跡は現在国有地であり保有林でもある為これ以上の発掘はできませんが、発掘すれば必ず見つかるだろうと識者は語ります。
筑摩御厨遺跡
現在の筑摩神社の北、琵琶湖干拓資料館がある辺りには平安時代にかけて御厨(みくりや)というものが存在していました。御厨とは朝廷や寺社に神饌を提供する台所です。その御厨を守護する為に、筑摩神社で食物の神である御食津神(ミケツノカミ)を祀ったといわれています。
その御厨推定地からは筑摩御厨のものと考えられる墨書土器・刀子・硯・緑釉陶器・神功開宝などが出土しました。
ところで米原市筑摩での伝統的な祭「鍋冠祭」は御厨の様子を後世へ伝えるための祭と言われます。
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これらの入江内湖干拓事業の歴史や、周辺の遺跡の出土品などを知る事ができる史料館が米原市にある琵琶湖干拓資料館なのです。入場無料です。
米原市琵琶湖干拓資料館へのアクセス
琵琶湖干拓資料館は米原駅や米原市役所近くにあります。米原駅西口から出て米原駅西口交差点を北へ行き、下多良交差点を左折します。しばらく道なりに進むと川沿いに琵琶湖干拓資料館の看板が見えてきます。
琵琶湖干拓資料館の看板が立っている橋を渡った先にあるのが琵琶湖干拓資料館です。
駐車場について
資料館の東隣りに広い駐車場があります。
まいちゃん号で行く
米原市の乗り合いタクシー「まいちゃん号」で行く事ができます。1回500円~
「米原共通-27」停留所が最寄りです。
施設情報
米原市琵琶湖干拓資料館
住所:滋賀県米原市入江522-3
営業時間:8:30~17:00
定休日:土日祝/年末年始
電話:0749-52-0763
遺跡に関するお問合せ
米原市教育委員会 歴史文化財保護課
住所:滋賀県米原市長岡1050-1
開庁時間:8:30~17:15
電話:0749-55-4552