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インタビュー

米原市出身のシンガーソングライターおかだ兄弟の岡田和宏さんにインタビュー

岡田和宏

岡田和宏さんは米原市出身のシンガーソングライターとして活動されています。2001年には兄と一緒に「Family~おかだ兄弟~」を結成し、メジャーデビューを目指し活動を開始。2006年に楽曲「矢印」がテレビドラマ「イヌゴエ」の挿入歌に起用されメジャーデビューを果たされました。岡田和宏さんのしびれるハイトーンボイスが魅力です。

2011年にFamily~おかだ兄弟~としての活動を休止し米原市に戻り、現在は滋賀県を中心にライブや音楽講師として活躍されています。

そんな岡田和宏さんに音楽の道に進んだきっかけ、音楽の道で生きる事などお話を伺いました。

おかだ兄弟ジョイントライブハイライト

音楽の道へ進もうと思った経緯ときっかけ

Q1.音楽に初めて触れたのはいつでしたか?
母親がクラシックの声楽科を卒業してまして、家でピアノを弾いたり童謡を歌ったり物心がつく前から音楽に触れる機会は日常的にあったんですよね。テレビのみんなのうたとか優しい曲を自然に聴いて育ってきましたね。
そもそも家庭の中で音楽がとても身近な存在だったんですね。
そうですね。それから母親が音楽教室をやってまして、小学生の頃から歌のレッスンを始めました。兄(※1)も先に習ってたもので、発表会で兄のピアノ伴奏で僕が歌ったり。
(※1)岡田和宏さんの兄、岡田健太郎さんもシンガーソングライター兼作曲家で、日本全国でコンサートを行っている。
今もやってるテレビアサヒ系列が主催の童謡こどもの歌コンクールで兄が優勝しまして。僕と弟も応募してたんですがデモテープ審査でダメでした。

その後ファミリー部門というのがあって兄と一緒に出て、1回目は2位だったんですけど2回目は全国優勝しました。家族で童謡を歌うというのが、音楽の原点でしたね。

岡田さんの音楽の道は童謡からスタートしたんですね。
その頃は本格的にやってるというよりも、楽しく歌う感じでやってました。
Q2.初めて聴いた楽曲はやっぱり童謡ですか?
そうですね。具体的には覚えてませんが。
Q3.幼少時代から音楽を学んでいたのですか?
小学生から中学生にかけてコンクールの歌のレッスンですね。夕食後に母に伴奏を弾いてもらって一生懸命歌ってました。中学生の頃はドラムも学びました。バンドブームとかあったでしょう?
ありましたねー。
ご存知かわかりませんが、当時はユニコーンとか、BOOWYとか。ロックへの憧れがあって、中学校の文化祭ではドラムもやってました。
Q4.どんな少年時代でしたか?
子どもの頃は歌も歌ってましたが、僕はやっぱり外で走り回ってる方が好きだったんです。高校2年生までテニス部に入ってましたし、ピアノのバイエルとかも全くやってなかったんです。そっからですかね、将来をどうしようか考え始めたのは。

普段は流行りの曲を聴いたり、カラオケにも行ったり高2までは普通に過ごしてましたね。

それから音大を目指す事になって、クラシックの音楽理論とか声楽の発声練習とか、音聴いて楽譜にせないかん採譜とか猛勉強です。あと、ピアノ!1日何時間も缶詰で猛特訓、やった事もないソナチネとか教わって、めちゃくちゃ厳しかったですね。

Q5.音大の声楽科を選んだのはお母様の影響もありましたか?
いや、1歳上の兄が先に声楽科へ行って、凄く良かったというのを聞いて、母の影響というよりも兄の歌に憧れを持っていましたね。
Q6.音楽の道で生きていくと決意したきっかけは何でしたか?
本場の本格的なオペラのコンサートを聴きに行って、これは凄いなと感動して。兄が行ってた東京藝術大学へ遊びに行ったら、凄いレベルの高い音楽に触れたんです。

大学時代はテノール歌手(※2)に憧れてたんです。

(※2)テノールとは男性が発声する音域の中でも高い声域のこと。女性のアルトよりやや下。
オペラの歌曲を歌えるクラシックの歌手になりたいなと思って頑張ってました。ところが大学時代は全然ダメでして、声が全然出なかったんです。
声が出ないとは、高い声が?
高い声も出ないですし、クラシックのオペラとかマイクを使わない生声じゃないですか。声量がなくて全然向こうまで聞こえないんです。もう、先生に怒られてばっかりでしたね。

音大を卒業してからもう1年別の先生の元で学んだんです。前は女の先生で、男の先生の元でもやってみたくて。それで1年やったけど、クラシックで生活もしていけんし、これはもうあかんわと。クラシックはやめようと思って帰ってきましたね。

クラシックはやめてポップス方面に転向を考えたんですか?
いや、全然考えてなかったんです。米原に帰ってくるきっかけとなったのは、高校の音楽教師をやらへんか?と声をかけてもらったもので。まぁ、教員免許も取ってたので先生でも目指そうかな?と思い始めてました。

その頃兄も米原に帰ってきてたんです。兄は自分の音楽の活動をしたいと言ってて、「おまえ、カラオケとか聴いてたらポップスに向いてると思うし、よかったら一緒にユニットやらへん?」って誘われたのが始まりですね。

それで2001年にいきなり米原市のルッチプラザを借り切ってコンサートをやったんです。でもたくさんが人に来てくださって、これは面白いなと。

それから2003年に本格的にユニット(Family~おかだ兄弟~)やるんやったら東京行こうという事で、そこから2人で音楽の道を進みました。

Q7.音楽以外の道は考えていませんでしたか?
何か音楽でやっていきたいと思っていたので、それ以外は考えてなかったんでしょうね。子どもの時にコンクールで家族で歌うという経験をしてきて、何か兄弟でやりたいという漠然とした想いはありました。

社会に出るというタイミングで兄にユニットに誘われて、これは面白いことになるんじゃないかなと思って勢いではじめましたね。

Q8.音楽の道で生きる事に対して両親の反応はどうでしたか?
「やっと言ってくれたか!」と賛成でしたね。兄弟で東京へ行くと言ったら普通は反対するでしょう。でも、確かに「何で声楽やめるんや、芸大まで行ったのに、期待してたのに。」という想いは少しはあったと思います。でも2人でミュージシャンとしてやっていくという事については全く反対はなかったですね。

クラシックやってもしダメでも音楽の基礎をやるかやらんのでは大分違うので、それ以外にいってもどこかで役に立つだろうという話もありましたね。

Q9.先程、大学時代は高い声が出なかったと仰ってましたが、今の歌を聴くと高い声が出ているように思えるのですが。
ああ、それはポップスを始めてから自分の歌を一生懸命歌ってたら何か出るようになりましたね(笑)。でも最初は苦労してたんですよ。高い声が綺麗に出ないとか。それでも構わずにライブを重ねているうちにどんどん出るようになってきたんです。

Family~おかだ兄弟~について

Q10.Family~おかだ兄弟~を結成されて東京で活動されましたが、その頃のお話を聞かせてください。
勢いで東京行ったもので、それはもう右も左もわからない状態で。ライブハウスとかも何も知らん状態やったんです。デモ音源を持ってライブハウスに行って、出させてください!と色々回ったり…。

CD を作りたいと思った時には、東京で知り合った人やエンジニアの人の協力で自主制作 CD を2,3枚作って、色んな所でライブして回りましたね。

Q11.メジャーデビューのきっかけとなる出来事は何でしたか?
「矢印」という曲を2005年くらいに作ったんですけど、その曲を渋谷のライブハウスで演奏していたら声をかけられたんです。そしたら、この曲は凄く良いのでドラマ(※3)の挿入歌に推薦してくださったんです。
(※3)ドラマはイヌゴエという2006年に放送されたコメディドラマで滋賀県でも放送された。主演は綾野剛。
東京へ来てから4年かかりましたけど、念願のメジャーデビューを果たせましたね。
Q12.作曲は和宏さんが行っているんですか?
兄も僕も作曲はやってますね。お互いが作詞作曲をやって1曲作ってました。
作詞と作曲で分担する事はなかったんですか?
ほんの数曲だけは兄の歌詞に僕が曲をつける事もありましたね。ほとんどありませんでしたね。

親戚の子どもが生まれた時に、曲でお祝いでもしようかってなって。曲のイメージだけ先に頭の中に浮かんで先に作曲したんです。これはいい感じの曲ができたなと思ったんですけど、歌詞がどうしても出てこなくって…。悩んでたらたまたま兄が来て、「ほんなら一回作ってみよか。」と。そしたら上手くハマる歌詞がすぐに出来て、その曲は兄作詞、僕作曲という形になりましたね。

Q13.2007年にインディーズに戻ったと聞いたのですが、何か理由はあったのでしょうか?
じつはデビューして2,3ヶ月で所属事務所が潰れちゃって…。僕ら以外にも所属グループはいたんですけど、全員解雇。プロデューサーもマネージャーも全員解雇という事があって。CD もシングル1枚とアルバム1枚しか出してないのに、やめ、撤退と。でも CD はたくさんあるし、誰も売ってくれんので。マネージャーの協力もあって全国周って色々やりました。

その後僕は先に米原へ帰ってきたんです。東京に住むのも…もう疲れたなと。田舎帰ろうと。

兄はまだ東京にいたんですけど、両方で活動するのもうまいことはいかんようになって、方向性というのも合わなくなって続けていくのは難しいなと。

インディーズに戻ってからはどんな活動をされたんですか?
2010年くらいまでは何かしらやってましたけど、そこからは僕が活動休止しちゃったんです。兄はソロで活動を始めました。弟はクラシックをやりたいという事で、それぞれ別の道を行きました。

それから僕は1年くらい休んでソロ活動を始めたんですが、現実はメジャーの頃のアルバムの在庫を売ってたのが活動ですね。

メジャーデビューはしたものの、周りのレベルが高すぎて愕然としたというお話を伺いました。メジャーデビューしたらその後は何とかなるやろと思ってたけども、現実はそうそう甘くはなかったとも。メジャーの世界の厳しい局面が垣間見れました。

そして、そもそもメジャーデビューが目的だったのでデビュー後は虚無感もあったようです。

作曲について

Q14.今ではたくさんの曲を作られていますが、作曲はどこで学ばれたのですか?
兄に作ってみ?って言われて曲を作る事になったんです。初めて作ったのは「8号線」っていう曲だったんですけど。それでポップスの曲も誰のファンとかもなかったので、勧められた曲を聴いてみたら4つのコードくらいしかないピアノの曲だったんです。4つくらいのコードやったらいけるやろと!

でもメロディーはどうやって作ったらいいかわからんし、作詞のやり方もわからんかったし、見よう見まねですね。

いつも思うのは、曲を作ったけどそれをどうやって作ったのか、どうやってこの歌詞ができたのか全く覚えてないんですよね。それでもう二度とこんな曲できんわといつも思ってて作るのが凄くしんどいです。

でもできた時は何にも代えがたいほど嬉しい気分になります。

Q15.作曲の原点となる人はいましたか?
うーん、兄がそもそも昔から作曲をやってたので兄に影響を受けたというのはあると思いますね。バンドとかだったらベタですけど、ビートルズとか。彼らの曲は凄いですよね。バンドの走りみたいな人たちなのに、今聞いても全然古臭くもないし。
Let it be は私も最初に弾きました。
Let it be は良いですよね。ピアノ弾き語り一本でも美しくて映えるし良い曲です。
Q16.作曲はどのように作られますか?
ピアノで作ろうと思った時は鍵盤に向かいますし、ギターでやろうと思ったらギターを弾きながら作りますね。あと、本当に一人の空間にならないと作れないんですよね。
Q17.そういえばライブでもギターを演奏されますが、ギターも習っていたんですか?
いえ、それが習ってないんです。高校で軽音部の顧問とかもやってたんですけど、ギターを教えてたら逆に教えられる事も多分にあったというか。教える事で自分にも成長がありましたね。
それはわかります。やっぱり教えるってなるとちゃんと教えないといけないので、改めて自分を見直す機会になるというのはあると思いました。音楽に限らず勉強を教えるのでも。
Q18.1曲作るのにどれくらいかかりますか?
メロディ考えて伴奏作ってアレンジ(編曲)まで終わらせて1曲と考えると、まぁ1週間くらいですかね。
鍵盤やギターで作曲していると、良い曲になりそうと思って弾いてるんですけど結局最初の方に弾いてた所を忘れていきませんか?
あー、ありますあります。あんまり間をあけるといけませんね。次の日寝て起きたら完全に忘れてたみたいな(笑)
寝たら絶対忘れます!
Q19.好きなコード(※4)はありますか?いつも使ってしまうやつとか。
(※4)コードとは、楽曲を構成する和音の事。
コードなんて最初は基本的なものしか知らなかったし、お洒落なコードなんて全然。よく使うコードといったら、最近はドミソにレを入れたやつとか好きですね。何ていうコードやったか…。
調べたら「Cadd2」(シーアドツー)でした。
Q20.曲作る時は、詞が先とか曲先とかありますが、岡田さんはどちらですか?
もう最近は、ちょっとピアノ弾いてメロディ作って、フッと浮かんだ歌詞をその時点で紙に書いてみたり…。
曲作りながら歌詞も書いてるんですか?
そうなんです。早く書きたくてね。
Q21.得意な曲調って何ですか?
バラードとかゆったりした曲がお客さんに一番喜ばれてるかなと思いますし、自分に一番合ってるなと思いますね。
ライブではアップテンポな曲もありましたね。
あれは、軽音部の指導に行ってからですね。全然ロックバンドとかやった事なかったですし、教えているうちに自分も教えられてたみたいな。ライブでも盛り上がりが欲しいなという所から、アップテンポな曲も作るようになりましたね。
Q22.曲作りに困った時はどうしますか?
諦めます!
えぇっ
いや、絶対作らないかん時はしばらく間を置いてみたりして意地でも作りますけども。諦めて寝て次の日やってみます。
Q23.好きなアーティスト、または作曲家を教えてください。
好きなアーティストと言ったら…ビートルズかなぁ…。あとはベン・フォールズ・ファイヴ…。作曲家は…。学生時代の一番多感な時期にやってたのがクラシックですから、好きな作曲家っていったらベートーヴェンやヴェルディなんですよ。
Q24.作曲のお仕事もしているのですか?
演劇・お芝居のテーマ曲とか依頼があれば受けてますよ。特に2018年には滋賀県初の小中一貫校「長浜市立余呉小中学校」の校歌を作曲しました。

野菜づくりについて

岡田和宏さんは趣味で野菜づくりもされています。野菜づくりのお話も伺いました。

Q25.趣味は野菜づくりという事ですが、野菜づくりを始めようと思ったきっかけは何ですか?
東京や大阪にだいたい10年くらい住んでて、30歳くらいに米原に帰ってきたんですけど。やっぱり自然はいいなって改めて思いましたね。自然に触れるの楽しいなって。
Q26.野菜づくりの好きな所は何ですか?
田舎ですし土地はある、軽い運動にもなって健康にも良いですし、生活のリズムをつけやすい、自分で作った野菜は美味しいという所が好きですね。

野菜を作る事で自然の事を気にするというのが、自分の運の向上に繋がってる気がするんですよね。自然に関わっていると天気が味方してくれたりするので、自然と上手く共存してるなぁと思うんです。

Q27.どんな野菜を作られているんですか?
定番なものばっかりですよ。たまねぎとか、ブロッコリー、じゃがいも、レタス、キャベツ、夏ならトマト、きゅうり、にんじんん、葉物野菜はほうれんそう、小松菜、冬は大根、白菜、かぶとかですね。あとは、オクラ、ネギ、カボチャ…。
野菜を全部網羅してる勢いじゃないですか。
Q28.私は以前大根を作ったんですけど、大きくなる前に全部虫に食われちゃったんです。何か対策はないですか?
あー虫は付きますよね。僕もあんまり対策っていう対策はしないんですけどね、なるべく農薬は使わないようにしてるので。といっても今の農薬はそれほど悪いものでもないので使っても良いとは思ってます。

対策っていったら、風通しをよくするのが良いとおもいますね。あと、野菜を植える時期をずらすのが一番良いですよ。まわりの人が失敗した後のシーズン後半に植えると、意外と虫の被害とかなかったです。

なるほど、確かに早く植えちゃってかもしれませんね。今度からずらしてシーズン後半に植えてみます。
あと、うちの父が楽農楽舎っていうのをやってましてね。農業に関する商品をいくつか出してるんです。その中でも「楽たねクン」っていうのがヒットして、テレビでも紹介されて人気になったんです。
その楽たねクンっていうのはどんな商品なんですか?
小さな種も蒔きやすいスプーンなんですけどね。小さい種の野菜って蒔きにくいので地面に適当に蒔いて後から間引きするでしょう。このスプーンだと種を取り出しやすくて1個ずつ植えられるんです。間引きの必要がありません。

Q29.今後やってみたい事や目標を教えてください。
今後お芝居の音楽担当をやるので、それを一生懸命やりきるのと、その後はアルバム制作をやりたいですね。
Q30.最後に何かお伝えしたい事はありますか?
2019年5月4日に長浜市の大通寺で「ひとりぼっちのジャッカル」っていう furico 公演のお芝居があります。お芝居の音楽担当しているので、是非見に来てほしいです!
本日はお忙しいところありがとうございました。

おわりに

米原市を拠点に活動するシンガーソングライター岡田和宏さんにお話を伺いました。メジャーデビューを経験された人にお話を伺う機会なんてそうそうありませんので興味深いお話を訊けました。

岡田和宏さんは高2からピアノを始めて紆余屈曲を経てメジャーデビューも果たされました。今回のインタビューを経て何かを始めるのに遅すぎることはないんだろうなと思いました。

岡田和宏さんのライブは滋賀県内で定期的に行われています。ライブの情報などは公式 Twitter で発信されていますので要チェックです。

お問い合わせ先

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岡田和宏公式 Twitter:岡田和宏(@kazuhiro_okada)さん | Twitter
岡田和宏公式 Facebook:岡田和宏
メール:okada2nankazuhiro@gmail.com

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